一部の人々に誤解されて居る如く黒蜥蜴は決して心を開かぬ冷臘なる女ではないのである。
口では「私の心は冷たいダイヤ」と云いながら、手下には情深く、青い亀には
「貴女の様な御情け深い方を私共は未来永劫御守りする。」
と云わせ、明智が黒蜥蜴の本質を三人の異なるタイプの女になぞらえながら指摘する場のセリフでは
「いいですか。それといふのも第三の女は、あまりにやさしい心、感じやすい神経の持主だからです。
……さて第三の女は、自分のやさしい魂に忠実なあまり、世間の秩序と道徳を一切根こそぎにひっくり
かへす、……」

そして明智の水葬礼を前に黒蜥蜴が本心を明かす場の長セリフの中で
「可哀想に!可哀想に!私の中であなたがあばれているやうな気がする。……こんな私のまごころの接
吻があなたにはわかって?私の唇が、口から出るのは冷たい言葉ばかりでも、こんなに熱いのがあなた
にはわかって?……今こそ素直に云へるんだわ。……好きだから殺すの。好きだから……。」

と恋心、恋情をもろにさらけ出す。
そして最後の死を迎える幕切れでは
「捕まったから死ぬのではないわ。」
「あなたに何もかもきかれたから」
「男の中で一等卑劣なあなた、これ以上みごとに女の心を踏みにじる事はできないわ。」
「でも心の世界では、あなたが泥棒で、私が探偵だったわ。あなたはとっくに盗んでいた。
 私はあなたの心を探したわ。」
明 智「僕にはわかったよ、君の心は本物の宝石、本物のダイヤだ、と。」
黒蜥蜴「あなたのずるい盗み聴きで、それがわかったのね。でもそれを知られたら、私はおしまひだわ。」
明 智「しかし僕も…」
黒蜥蜴「云はないで。あなたの本物の心を見ないで死にたいから。…でもうれしいわ。」
「うれしいわ。あなたが生きていて。」

と愛する人の無事を喜ぶ優しい無償の愛の姿で幕は閉じる。そして死によって明智の心中に永遠に完全
な形のまま愛をとどめる事にしたのである。
そして彼女は人生の終焉を迎えて悟ったのである。世界でもっとも美しいものは宝石類や美術品なぞの
物質の類ではなく、人の心、つまり愛であると。
黒蜥蜴はこう云う芝居なのである。決して冷酷無比の変質的犯罪者の戯曲などではないのである。
その誤解を解き度いが為に私は此度演出も引き受けたのである。

(過去の公演パンフより)