フィリップ・ジャンティ
フランス・サヴォア地方出身。12歳ではじめて人形をつくり、以来その手は休むことなく物を創り続けている。パリのグラフィック・アートスクールを経て、20歳の時に友人と手作りのマリオネットを車に乗せ、4大陸47カ国を訪問。世界の人形劇をフィルムに納める。この旅の途中で日本にも立ち寄り、1年間を文楽の師匠の元で過ごした。

フランスに戻り、旅で得た数々のイメージを基に、人間と人形が共存する独特の舞台作品を確立。カジノ・ド・パリのローラン・プティ&ジジ・ジャンメールのレビューに登場し、これを機にショー・ビジネス界で認められ、国内外に活動の場を広げる。

多様なイメージを駆使し、どこにでもある素材と舞台空間に生命を吹き込み、創作という果てしないたびを続ける夢の配達人。それがフィリップ・ジャンティである。

フィリップ・ジャンティ・カンパニーとは?
舞台の魔術師といわれるフィリップ・ジャンティが主宰するパフォーマンス・グループ。紙や布、不思議な魅力をもった人形、ダンス、マイム、マジックを駆使し、人間の無意識の世界を舞台で具現化させてきました。そのエスプリとユーモア、詩的あふれる舞台は、他の追随を許さない独創性と質の高さを備え、世界中で多くのファンを獲得しています。パリ市立劇場を拠点に2〜3年ごとに新作を発表し続けています。彼の作品創作はとてもユニークで、新作創作ごとに世界中から出演者を募集し、ワークショップを経てキャストを決定します。ゆえにメンバーは国籍も出身も多種多様です。振付、共同演出はダンサーでフィリップのパートナーでもあるメアリー・アンダーウッド。

【 フィリップ・ジャンティ・カンパニー略年譜 】
1965  ユネスコの援助で世界の人形劇団の映画を製作。
この時、日本で文楽の故・桐竹紋十郎、竹田人形座などと親交を持ち、文楽のテクニックなどを学ぶ
1968  ファンデーション・デ・ラ・バカンスに出演し、優勝。以降様々な劇場、テレビなどでパフォーマンスを行う。
同年モンテカルロの国際テレビ演出フェスティバルでオスカー賞受賞。
1976  パリ市立劇場(テアトル・ド・ラ・ヴィル)で初めてパフォーマンスを行う。
1977  オセアニア・ツアー、以降毎年いずれかの作品が海外ツアーを行う。
1980  パリ市立劇場で「立方体のように丸く(ROUND AS A CUBE)」を発表。
1983  「ジクムント・フォーリーズ(ZIGMUND FOLLIES)」発表。
1986  パリ市立劇場で「いのちのパレード(DESIRS PARADE)発表。
1988  「いのちのパレード」で日本初公演。
1989   「いのちのパレード」日本再演。12月にパリ市立劇場で「漂流(DERIVES)」発表。
1990   「漂流」でエジンバラ国際演劇祭の最優秀批評家賞受賞。
1992   「漂流」、ローレンス・オリヴィエ賞ノミネート。1月、「漂流」日本公演。
3月、パリ市立劇場にて「忘れな草(FORGET ME NOT)」を発表。11月日本で「漂流」アンコール公演。
1993   「忘れな草」日本初演。
1994   6月「いのちのパレード/漂流」リニューアル版のワールド・ツアー開始。
1995   2−3月「いのちのパレード/漂流」リニューアル版、日本公演。
4月パリ市立劇場にて「動かぬ旅人(VOYAGEUR IMMOBILE)」発表。
1996   オーストラリアのアデレード・フェスティバルで「密航者(STOWAWAYS)」発表。
6月「動かぬ旅人」日本初演。
1997   フランス・アヴィニヨン・フェスティバルで、初の野外劇「迷宮(DEDALE)」発表。
パリ市立劇場で劇場版「迷宮」上演。
1998   5月ポルトガル・リスボン万博にて「オーシャン・アンド・ユートピア(OCEAN AND UTOPIA)」を発表。
8000人収容のスタジアムで10月まで公演を行う。6月「迷宮」日本公演。
1999   「迷宮」のワールドツアーを行う。「密航者」の世界ツアーも開始。
2000   ニューバージョン「密航者」ワールドツアー。7月に「密航者」日本公演。
「ジクムント・フォーリーズ」再演。「信じられないコンサート」パリ自然史博物館で上演。
2001   「密航者」フランス国内ツアー。
2003   「バニッシング・ポイント」ローザンヌで初演。11月「ジクムント・フォーリーズ」日本公演
2004   11月「バニッシング・ポイント」日本公演