スペシャル企画
「夜が私を待っている」公演パンフレット連動企画
人間くさい悲劇を疑似体験、カタルシスを得る

私の専門である脳分野からみると、この作品はとてもよくできていると思います。どうしようもない“人間らしさ”や“人間くささ”を舞台上で表現することで、観客としては一種のカタルシスを得られるわけですね。悲劇作品を観たり失恋ソングを聴いたりすると、脳の快感神経が反応します。悲劇を疑似体験した上で、スカッとしたり、自分でなくて良かったと思ったりするのです。悲しいストーリーで快感にひたるなんて、人工知能には理解できない感覚だと思います。IT技術が発達し、人工知能が人間の脳を一部上回ってしまった今だからこそ、このような作品での人間らしさの追求を歓迎します。

人工知能について、もう少し詳しくご紹介しましょう。猿と人との違いを問うと、知性や理性、自制心があるのが人であり、それこそが人間らしさだと答える人がいますが、本当にそうでしょうか。もちろん、知性や理性は特に人が強く発達させているものですが、先にも述べたように、人間らしさの牙城として持っていた私たちの知性は、もはや人工知能には及びません。いまや人工知能は人顔負けの芸術も生み出すし、おもてなしやカウンセリングをもこなし始めています。将棋や囲碁の世界で、プロが人工知能に負ける場面を見たことがある方もいるでしょう。

では改めて、人間らしさとは何だと思いますか? それは「思考と判断の遅さ」です。つい先日、このような論文が発表されました。車を運転していたら目の前に10人の子どもがいて、このまま真っ直ぐ走れば子どもたちを轢いてしまう。ハンドルを切れば子どもたちは助かるけれど、それでは二人の老人を轢くことになってしまう。さてどうするか。人工知能は瞬時に老人を轢くことを選択します。人間なら、最終的にどのような判断をくだすにしても迷いますよね。このちょっとした「間」が人間には大切です。なぜなら私たちは、そのような実時間を生きており、人間のリズム感があるわけですから。しかし「間」なんてものは、いずれ人工知能でも作れるようになるでしょう。

もう一つ、人工知能に関して興味深い話があります。現在の人工知能はまだ接待将棋や接待麻雀ができないのです。負けるプログラムを組むとあからさまに負けてみせるそうで、それでは「あ~、いいところまでいったのに結局負けちゃいました。社長お強いですね!」などという絶妙な雰囲気を出すことはできません。しかしそれも今現在のことであって、いずれできるようになるでしょう。

では最終的に、人間らしさとして残るものは何か。恐らく、ついムッとして怒ってしまう、ついイライラして語調を荒げてしまうというような、人間の悪い部分だと思います。人工知能をプログラミングする際、プログラマは人間の弱点や悪いと思われるものは入れません。社会的に「良し」とされるものを組み込んで発達させていくことを前提として、人工知能は開発されていますから。

話を元に戻しますと、この作品は前述のような「ついつい……」が描かれている点で人間らしさの根幹を感じられるものだと思います。だからこそリアルな疑似体験ができるし、そこにカタルシスを味わうのでしょう。人工知能にはこの作品の意味は理解できないでしょうね。もしかすると、犯人がわかった時点で即刻彼を斬ってしまうのかもしれません。

[取材・構成=鈴木梨恵]

いけがや・ゆうじ●東京大学 薬学部 薬品作用学教室 教授。神経科学および薬理学を専門に、脳の可塑性(かそせい)を研究。近著に『単純な脳、複雑な「私」』『脳には妙なクセがある』『自分では気づかない、ココロの盲点 完全版』『脳はなにげに不公平』など。中村うさぎとの共著に『脳はこんなに悩ましい』、監修に『大人のための図鑑 脳と心のしくみ』など。雑誌『月刊クーヨン』にて「脳研究者パパの悩める子育て」を連載中。
http://gaya.jp/

*本インタビューは『夜が私を待っている』公演パンフレットに続きます。あわせてご一読ください。